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NHK日曜美術館「美術にぶるっとふるえたことありますか?」 [美術]

今、竹橋の国立近代美術館で、設立60周年を記念した
美術にぶるっ! ベストセレクション 日本近代美術の100年」展が
開かれています。

近美は好きで、若い頃からときどき行っていますが
今回は所蔵品のなかから、美術の教科書に載っているような
有名どころ満載の展覧会です。

この展覧会はNHKとの共催で、自分が「ぶるっ!」ときた作品について
会場とインターネットで11月下旬まで感想を募集していました。

NHKEテレ「日曜美術館」でこの展覧会が
12月2日(12月9日再放送)に取り上げられました。

美術にぶるっとふるえたことありますか?―東京国立近代美術館60周年記念展―

ネットから、靉光(あいみつ)の《眼のある風景》に感想を投稿したのですが、
そこに添えた歌を番組内で読んでいただきました。
ありがとうございました。

靉光の眼の前に立ち尽くしひとり砂漠の風に捲かるる

靉光「眼のある風景」.jpg

「空海と密教美術展」五首 [美術]

秋蝉の高き葉ずれに立ち添ふる上野の杜をそぞろ歩きぬ

「大威徳明王騎牛像」を詠む
六足に踏み伏せらるる水牛の張りたる尻はおみなのごとく

「大威徳明王」は頭が6つ、手足が各6本の異形の姿の明王で、別名「六足尊」。
明王を乗せている水牛は死の神ヤマを表しており、本来男神なのでしょうが。

   大威徳明王騎牛像.jpg

「兜跋毘沙門天立像」を詠む
地に沈むおみな哀れと思ひしか神支ふるを天女と呼ぶは

「兜跋毘沙門天」は単独でつくられた多聞天(毘沙門天)のうち地天女の掌の上に立つ形式のものです。

   兜跋毘沙門天立像.jpg

「立体曼荼羅」を詠む
異ざまに流るる潮の逢ふところおどろおどろの神寄り集ふ

密教は仏教のみでなく、ヒンドゥー、イスラムなどさまざまな要素が加わっています。
いろいろな文化が交差するチベットだからこそ生まれた宗教なのかもしれません。

   立体曼荼羅.jpg

「如意輪観音菩薩坐像」を詠む
微睡むかもの思ふかのみほとけにくぐりきし火のかげ添ひをりぬ

如意輪観音は衆生の苦しみを除き、生きていく上での望みを叶えてくれるとされています。
この像が全体に褐色で黒ずんだ部分があるのは、火に遭ったからだと言われています。

   如意輪観音菩薩坐像.jpg

デカダン村山槐多 [美術]

毎週日曜の夜は「日曜美術館」の再放送を見ていますが、
しばらく前に村山槐多の特集がありました。

……破天荒な画家です。
赤が強く、暗い土俗的な絵ですが、不思議な魅力があります。

代表作のひとつ「尿する裸僧」。

村山槐多「尿する裸僧」.jpg

托鉢の鉢に放尿する裸僧。
宗教的、性的、いろいろな意味にとれる絵だと思います。

村山槐多については知っていて好きな画家のひとりではあったのですが、
番組で初めて知ったのは歌人の福島泰樹さんに
「デカダン村山槐多」という歌集があることでした。

もともと前衛的な歌があまり得意分野でない私は
福島さんの歌を読んだことはありませんでしたが、
ライブハウスで村山の短文を叫ぶように朗読する福島さんには
村山と共通の、根底から沸き上がるような魅力を感じました。

古書で取り寄せているので、読了したら
感想など書いてみたいところです。


デカダン村山槐多

デカダン村山槐多

  • 作者: 福島 泰樹
  • 出版社/メーカー: 鳥影社
  • 発売日: 2003/02
  • メディア: 単行本



「西美をうたう」 [美術]

「西美をうたう 短歌と美術が出会うとき」という本というかカタログを
古書で手に入れました。

   seibi.jpg

いいですね・・・美術好き&歌好きにはたまりません。

きっかけは先日行ったドガ展を詠もうと思ったことです。

過去にほぼ1年、題詠ともつかない練習として
「日曜美術館」で取り上げられた題材を詠んだことがありました。

でも今回、ドガを詠もうとして「ちょっと待った」と思ったのですよね。
今までの私なら躊躇なく描かれたそのものを詠み出したと思うのですが。
(描かれたままを詠むことに疑問を抱いたことが、1年の進歩の現れかもしれませんww)

かつて読んだ頴田島一二郎(えだじま・いちじろう)氏の
「作歌 はじめのはじめ」には、美術詠は作品を超えることはできないので
習作にはよいがあまり勧めないとありました。

で、美術を詠んだ短歌にどのようなものがあるかと検索したところ
京大の先生で歌人でもある東郷雄二氏の記事に行き当たりました。

   東郷雄二:今週の短歌 西美をうたう

読み進むうちに、これはどうしても絵との対比のうちに読みたいと思い、
手に入れたというわけです。

絵と見比べつつ辿ってみると、東郷氏の記事にあるようにつきすぎかと思えるもの、
絵の中に描かれていないものや脇役と思われるものを詠み出してはっとさせられるものなど、
西洋美術史の名作と現代歌人ががっぷり四つに組んだ魅力はなかなかのものでした。


ドガの「エトワール」を詠む

羅(うすもの)を透かすひかりはひと晩を値踏むまなこを受け容れむとす

   Degas_Etoires.jpg

緞帳のかげに、顔はさだかではないものの盛装した男性がみえますね。
当時ロシア・バレエに取って代わられたフランス・バレエの踊り子の生活は苦しく、
劇場には一夜のパトロンに値踏みされるための
「ダンス・フォワイエ」という部屋があったそうです。

辻が花 ふたたび [美術]

落日にくれなゐ燃ゆる辻が花湖(うみ)の辺(へ)に咲く彼(あれ)を訪(と)はまし

   Icchiku_Tujigahana.jpg

一竹辻が花のうたは昨年も詠みました。
詠まれた方にお許しをいただいて連歌にした思い出深い歌です。

……故久保田一竹氏の作品などを展示している
一竹美術館の経営母体である「一竹工房」が、
あろうことか民事再生法の適用を申請しました。

美術館はどうなってしまうのでしょう。

ご存じない方は何で「湖の辺」なのかなとお思いでしょうが、
一竹美術館は河口湖の畔にあるのです。

「落日」にはあの美しい着物たちも時代には勝てなかったのかという
寂しさを込めました。

美術館に行ってみたいと思いつつ交通の便が必ずしも良くないので
二の足を踏んできましたが、
万一閉館ということになるのであれば、その前に
ぜひ訪れたいと思っています。

半泥子 [美術]

おのが目をもたぬ我をもつつむごと座せるうつはのおほどかに笑む

   Aka-fudo.JPG

川喜田半泥子展に行ってきました。

茶道にくらいこともありますが、最近、どこまでが自分の目で
どこからが評論家や書物、通説による借り物の目か悩むことしきりで……。

でも、半泥子のうつわはそんな悩みなど包んでしまうくらい大らかで、
肩肘張らずにのびのびと自由で……。
何だか自分が「小せぇ小せぇ」と言われそうな気持ちにさえなりました。

でも、茫洋としているのではなくて、たしかな目と自分のスタンスがあり、
何と言うのでしょう、独特の闊達さと鷹揚さを併せ持つ雰囲気を感じました。

辻が花 二首 [美術]

錦なす山と湖(うみ)とに染まりゐて「光響(こうきょう)」の袖くれなひに燃ゆ

   Icchiku_kokyo.JPG

辻が花染めは以前から好きで、
この技法を復元した久保田一竹氏の存命中から
何度も展覧会に足を運びました。

たまたま詠まれた方があり、お許しをいただいて連歌にしたものです。

一竹辻が花というと、華やかな色合いとダイナミックな構図が思い浮かび、
身にまとうというよりは衣桁にかけて鑑賞するといった感じですが、
一枚だけ、これを身にまとえたらという作品があります。
白黒の濃淡で染め分けた「桜華」という作品です。
でもその気圧されるような美しさは、おいそれと身にまとえない雰囲気ももっています。

闇にしろき「桜華」のいのち冴えわたりひと夜を咲けり身をつくしつつ

   Icchiku_Ohka.JPG

セバスチャン・サルガドを詠む [美術]

にんげんの尊厳にいのちの光射す サルガドの眼は泣いてはいない

   salgado-2.JPG

NHK・日曜美術館でセバスチャン・サルガドの特集を見ました。

サルガドはブラジル出身のフォトグラファー。
経済学者から写真家に転じ、「WORKERS」「EXODUS」「GENESIS」などの
作品を発表しています。

サルガドの写真は以前、マグナムかライフの写真展で1枚見たことがありましたが、
番組を見て「展覧会に行きたい!」と真剣に思いました。

人間の極限状態を撮りながら、その目は冷徹ではなく
かといって過剰にウェットでもない。
人間の尊厳を損なうことなく、温かみが感じられました。

残る会期は1週間。
土日は混むから鑑賞に適さないと言って下さる方がありましたが、
残る日にちの少なさに贅沢は言っていられず、
会期終了1日前の土曜日に行ってきました。

天に還らむとする子を抱く父の涙せぬ目引き結ぶ唇は僧のごと

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死線越え樹下に黙する人びとにめぐみ降らせよあしたの光

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息をつめるごとき時間を過ごし来て瞼に風と陽光(ひ)のいとほしき

*写真にはcopyrightがあると思いますが、何を詠んだかを見ていただきたく
 あえて掲載しました。
 削除要請はこちらまでご連絡下さい。

靉光(あいみつ)を詠む [美術]

靉光の眼(まなこ)の前に立ち尽くす砂漠にひとり虚空にひとり

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靉光の代表作のひとつ「眼のある風景」を詠んだものです。

靉光は昭和の戦前・戦中期にきわめて特異な絵を描き、
さまざまな技法を試みるも1944年に応召、
戦後すぐの1946年に上海で没した画家です。

テレビでこの絵を見たときは
中央の目に凝視されているような印象を受けましたが、
実際に見てみると不思議と済んだ眼差しが印象的でした。
そしてさらに不思議なことに、絵の右側や左側に移動してみましたが
どの角度から見ても、目がこちらを見ているようにみえるのです。
「焦点のあるようなないような」という最初の印象は
ここから来たのかもしれません。

シャガールブルー [美術]

飾り窓に差し込める陽は我が肌にシャガールブルーの飛沫を授く

   chagall1.JPG

   chagall2.JPG

「うたのわ」で青の歌が立て続けに詠まれた頃に
詠んだ一首です。

南仏・ニースにあるシャガール美術館。
半滞在型のツァーに美術好きが何人かいて、無理を言って行程に加えてもらい
訪ねたそこは、それは素晴らしい場所でした。

1階に小さなホールがあり、シャガールのステンドグラスを嵌めた窓が
2枚あります。

南仏の太陽はパリのそれとは違ってとても明るく、
日光を透かした青色は本当にきれいでした。