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ナイル2020年12月号連載【〈短歌版〉私の本棚・39 震災歌集】 [ナイル短歌工房]

 東日本大震災からひと月余の四月に本書は刊行された。俳人である著者が歌集を出したこと、震災当日は東京にいて帰宅難民となったものの、東北在住でないという当事者性の問題などから、さまざまな論議を呼んだ歌集である。

 なぜ俳句でなく短歌だったか。著者は「はじめに」にこう記している。
 《その夜からである。荒々しいリズムで短歌が次々と湧きあがってきたのは。私は俳人だが、なぜ俳句ではなく短歌だったのか、理由はまだよくわからない。「やむにやまれぬ思い」というしかない。》

  津波とは波かとばかり思ひしがさにあらず横ざまにたけりくるふ瀑布

 五七五十九という字余りだが、冗長な感じは全くない。むしろ言葉が圧倒的な存在感を持って押し寄せてくるようだ。

  かりそめに死者二万人などといふなかれ親あり子ありはらからあるを

 災害の規模が大きいほど、犠牲者は一括りの数字で表されがちだ。一人ひとりに名前があり家族があった。

  みちのくのとある海辺の老松は棺とすべく伐られきといふ

 震災では火葬場も被害を受け、犠牲者の多さに棺も不足した。津波を逃れた松も犠牲にせざるを得なかった状況が伺える。

  嘆き疲れ人々眠る暁に地に降り立ちてたたずむ者あり

 リアリズムから一転して不思議な歌である。「たたずむ者」は人ならぬ存在か。

  音もなく原子炉建屋爆発すインターネット動画の中に

 「廃炉完了に最長四〇年」と言われながら未だ目処も立たない大事故のはじまりである。

  日本列島あはれ余震にゆらぐたび幾千万の喪の火さゆらぐ

 余震が続く中、輪番停電の頃の歌である。

  仏弟子にまがふばかりにあなたふと炊き出しに来しスリランカの人

 在日外国人に優しい国ではないのに。

  「真意ではなかつた」などといふなかれ真意にもとづかぬ言葉などなし

 石原慎太郎の「天罰」発言に寄せて。

  みちみてる嘆きの声のその中に今生まれたる赤子の声きこゆ

 栗原貞子の『生ましめんかな』を思わせる一首である。

  瀧桜幾万のつぼみのその一つ今朝ひらきぬと吹く風のいふ
  復旧とはけなげな言葉さはあれど喪(うしな)ひしものつひに帰らず

 震災から一年、三春の瀧桜開花の報。しかし、喪ったものはあまりに大きい。

 汚染水の海洋放出案が国際的に批判される中、菅首相は所信表明演説で「安全最優先で原子力政策を進める」と述べた。福島には「白地」が拡がり、避難者の住宅支援は打ち切られつつある。政治は、私たちは震災と原発事故から何を学んだのだろうか。十年の区切りを前に、改めて考えるべき時が来ている。

【書籍情報】長谷川櫂『震災歌集』中央公論新社、二〇一一年


震災歌集

震災歌集

  • 作者: 長谷川 櫂
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2020/12/06
  • メディア: 単行本




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ナイル2020年12月号連載【〈短歌版〉私の本棚・38 形相】 [ナイル短歌工房]

 内村鑑三の薫陶を受けた敬虔な無教会派クリスチャンで、戦後すぐ東大総長を務めた南原繁の歌集。表題はあとがきに《実在の単なる仮象ではなく、アリストテレス謂うところの、永遠的なるものの「形相」(エイドス)としての生の現実感》とあるように「けいそう」と読む。自然詠、旅行詠なども収められており、挽歌にはページ数が割かれているが、紙数の都合上、時事的な要素やそれを反映したと思われる思索に絞って紹介を進める。時代背景を参照されたく、歌の末尾に詠まれた年を記した。

  いのち死すといふはたやすし現身(うつしみ)は生きつつをりて昼も夜(よる)も苦しむ(昭11)

 結句の字余りが強意を強くする。二・二六事件のあった年、言論統制がすでに始まっていたことを想起させる歌もある。

  留置場の高窓に見る空のいろにも心うつりて思ふことあらむ(昭13)

 教授グループ事件。東大では大内兵衛らが逮捕された。治安維持法第一条の目的遂行罪が拡大解釈され、弾圧が大学に及んだ。

  この一年(いちねん)の講義終へけりわれ机にむかひて熱き涙とどまらず(昭13)

 連作「終講」。暗雲立ち籠める社会情勢の中、大学人としての思いが垣間見える。

  相欺き憎み戦ふ世にありて愛を説き平和を説くは非現実か(昭14)
  いまの現(うつ)つに世を憤りはた自らを嘆けばつひに学者たらじか(昭15)

 昭和十四年九月に第二次世界大戦が始まった。欧州では戦争が拡大の一途を辿り、国内は軍部による統制が進む中、クリスチャンとして現実との乖離に苦しみつつ、学者とて象牙の塔にいられないと感じたものか。

  民族は運命共同体といふ学説身にしみてわれら諾(うべな)はむか(昭16)

 開戦の日の作。資料によれば「運命共同体」は出典を離れて、国家主義の台頭とともに日本で喧伝されたようである。

  天地のひとつのこころ成らしめよ国々いくつ滅び去らむも(昭17)
  教へ子らはいのちをたぎち出でゆく日われ風邪ひきこもりつつをり(昭18)
  戦の果(はて)はあらばあれ秋の日の野の上(へ)に赤く昏れ入りにけり(昭19)

 学徒出陣から東京大空襲を経て、敗戦の色はいよいよ濃くなってゆく。

  ただならぬ時代(とき)の流れのなかにして汝(な)がたましひを溺れざらしめ(昭20)
  わがどちのいのちを賭けて究めたる真理のちからふるはむときぞ

 「元旦独語」から。すでに敗戦とその後を見通した歌である。

  真夜(まよ)ふかく極(きは)まるときし東(ひむがし)の暁(あけ)の光のただよふにかあらし

 南原は国際正義に基づく軽軍備(解釈改憲)を容認していたが(『第九条の問題』)、朝鮮戦争を機に、改憲論とともに再軍備をも否定する立場に転じた(『民族の危機と将来』)。戦前回帰ともいわれる現在、この歌集の意味をいま一度問い直すときに来ているのではないだろうか。

【書籍情報】南原繁『形相』ほるぷ出版、一九七五年


形相―歌集 (1968年)

形相―歌集 (1968年)

  • 作者: 南原 繁
  • 出版社/メーカー: 図書月販・出版事業部
  • 発売日: 2020/12/06
  • メディア: -



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ナイル2020年12月号掲載歌【映画の街に】 [ナイル短歌工房]

世を経りて錆びた骨のみ残りたるアーケードあり映画の街に

たのしみはミニシアターにすべり込み忘我の闇に身をひたすとき

金額も名のありなしも平等にコロナ支援の字幕ながるる

忘らるる民草すずろ欠けてゆく櫛の歯くには死を待つらむか

"niemals vergessen dürfen" 忘るるは許されぬとふ碑あると聞くに

悲喜劇といふにはあまりたまかつまくがねに惑ふ為政家のすゑ

地のひとの通ひつめたるシネマあり吾もまたさなるならひ継がむか



神奈川新聞に写真が載ったこともあるかつてのアーケード。
地元の人に聞くと、落下の危険はあるものの、
所有者がはっきりしないためアーケードの骨組みが残っているそう。
それもまた風情です。

コロナ禍の緊急事態宣言中、各地の映画館は苦境打開のために
クラファンや物販などさまざまに動きました。
地元の映画館のリターンは、支援者を字幕掲載すること。
私は実名で出しましたが、ハンドルネームなどさまざまの名前に混じって
「大和田伸也」「永瀬正敏」「濱マイク」などの名前が。
夢があっていいではありませんか。

終戦記念日前後には毎年、メッセージ性のある映画が集中的に上映されます。
今年見たのは「野火」「日本人の忘れもの」「蟻の兵隊」。
戦後の行政、日本政府が落としてきたものに心が痛みました。

現在の不正に切り込んだのが「はりぼて」。
映画に関わった人が軒並み他所に移っているほか、
チューリップテレビは差別企業の配信する番組を放送し続けています。

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ナイル2020年11月号連載【〈短歌版〉私の本棚・37 静物】 [ナイル短歌工房]

 小池光の第五歌集。装本は倉本修で、表紙絵は彼のコラージュという。『静物』の集題については、後記に「静物画の静物でもいいが、もっと字画どおりに静かな物という感覚がより気持ちを写しているだろうか」とある。
 「静物」を辞書で引くと「静止して動かないもの」とある。だが、この歌集に読まれている静物は、凪の底にある何かを感じさせる。

  ひとたばの芍薬が網だなにあり 下なる人をふかくねむらす

 網棚に横たわるたっぷりした花が、座席の人を昏々と眠らせている。静もっている芍薬にも眠っている人にも息づきがある。

  海(かい)彼(ひ)よりきたる果実を盛り上げて三方はいま死者のまくら辺(べ)

 静謐な死者のおくりからそこはかとないエキゾチシズム、彼岸までを思わせる広がりをもった歌である。

  うしみつの台所に来てひとり食ふカステラがわがいのちの証(あかし)

 真夜中の台所でカステラを食う。ただのカステラではない、杉の木箱にずっしり重い特別なカステラだ。食欲というよりはひとりでこっそり贅沢をしたい衝動か。肉体と精神の欲求を映すカステラは命の証だ。

  八月十五日ならめ まないたに動かざる蛸の生足(なまあし)いつぽん

 タコ一杯ではなく一本の足だけがまな板にある。バラバラの戦死者にみるのは凄惨かつ雄弁な沈黙か。

  山岡やめ山中やめず山中に生えそめし髭のあはきかはゆさ

 連作の他の歌から山岡がやめたのはオイチョカブだと分かる。髭が生え始める頃なら中学生か。少年期を脱しつつある生徒の悪さを処罰しながら、教師としての細やかな視点が感じられる。

  銀杏(ぎんなん)が傘にぼとぼと降つてきて夜道なり夜道なりどこまでも夜道

 「ぼとぼと」のオノマトペが銀杏の落ちる音と同時に秋雨の音にも感じられる。下の句のルフランと字余りが、夜道が永遠に続くかのような感覚を醸し出す。

  身の上をおもひ嘆かふこともなく猫にとりあたたかき処(ところ)のみ善
  苔のうへにこもれびの日が差すところ腹ばひゐたり猫のすがたに

 連作「猫類」。自らの確たる価値観に従い、猫の姿に腹ばう猫の実体は何だろうか。

  被爆国をおほへるしろき聖骸布(せいがいふ)とりはらはれてまひるの沼地

 聖骸布はイエス・キリストの遺体を包んだとされる布。唯一の被爆国である日本、「特別な存在」としてのヴェールの下はどのようであったか。核の問題は現在も尾を引いている。

  ひぐらしは羽透きとほり胡桃の木遠き日の木にこゑすきとほる

 「遠き日」はいつか、胡桃と遠き日の木が同じものかは分からないが、それでよいのだろう。静けさの中に生の連環を感じさせる一首である。

【書籍情報】
小池光『静物』砂子屋書房、二〇〇〇年


静物―小池光歌集

静物―小池光歌集

  • 作者: 小池 光
  • 出版社/メーカー: 砂子屋書房
  • 発売日: 2020/11/04
  • メディア: 単行本




*11月号には編集の都合上、連載が2編掲載されました。

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ナイル2020年11月号連載【〈短歌版〉私の本棚・36 鎌倉もだぁん】 [ナイル短歌工房]

 鎌倉在住の歌人・尾崎左永子の歌集。題にあるとおり鎌倉尽くし、鎌倉を詠った歌を集めたものだ。前がきには「いつのまにか二十年近くこの街に住んで、今の私は、生まれ育った東京よりも、この鎌倉の方が好きになっている」「いわばこれは、私にとっての鎌倉讃歌である」とある。オーソドックスな季節ごとの構成で、思いのほか固有名詞が少なく、鎌倉の自然の移ろいとそこに喚起される自照が感じられる。

  降り霧らし海さへ見えぬ湘南の春の雪よいたく心惑ふまで

 雪とともに海から霧が上ってくるのだろうか。見慣れた風景であるはずなのに閉ざされた視界と、内心の惑いが重なる。

  飛ぶ花の樹下に佇ちて手を振りし訣れを思ひ永くおもはず
  とめどなく散る花のごとひるがへりひるがへりつつ記憶遠のく

 「訣」は永訣などに使うように「きっぱり別れる」の意。思いを巡らすが永遠に拘泥することはない。時の流れに寄り添った生きざまが思われる。

  窓に若葉さわぐ月の夜眼の青き人形は眼を閉ざさず眠る

 ビスクドールは横倒しにすると目を閉じるものが多い。若葉と座ったまま終夜眠らない眼の色のつながり、眼の奥のざわめきを感じさせる。

  撓(たわ)むといふ力したたかに紫陽花の重たき花は地に触るるまで
  風に揺れて竹が互(かた)みの幹を撃つ虚ろの音をあるときは聴く
  あかつきの闇はやさしも蜩(ひぐらし)は水の輪のごと声重ねゆく

 鎌倉を、ことに独りで歩いたことのある人なら、思い出す風景があるかもしれない。

  砂の陰翳(かげ)蒼き頃ほひ炎天の匂ひを帯びて海昏れんとす

 「炎天の匂ひ」は人の匂いでもある。人少なになった晩夏の海だろう。

  午后の日の闌(た)けつつ浜に乾きゆく悔過(けくわ)・貝の殻・わが秋の髪

 悔過は仏教用語で、罪や過失を懺悔すること。生々しさを失ってゆく悔恨と、貝の亡骸、秋の髪は人生の暮れをも感じさせる。

  渚遠くつづく足あと洗ひゐる夕波よわが愁ひ消さざれ

 足跡を消し去る波への呼びかけに、忘却へのひそやかな抗いが感じられる。

  海の色とどむるゆゑに小鰯の光るを買ひて風の街帰る
  生けるまま凍りし魚(うを)の光る背に海の色あれば罪のごとしも

 一首目は秋、二首目は冬の歌。光る魚にとどまる「海の色」は季節によって含意を変える。

  新月の鋭(と)き窓よりぞ思ふことみな脱れゆく夕やみのなか

 歌集最後の一首。「思ふこと」は煩悩にも通じるかもしれない。終わりであり始まりの月に、「いっさいは過ぎてゆく」というかの境地が感じられる。

【書籍情報】
尾崎左永子『鎌倉もだぁん』沖積舎、一九九四年


鎌倉もだぁん―尾崎左永子歌集

鎌倉もだぁん―尾崎左永子歌集

  • 作者: 尾崎 左永子
  • 出版社/メーカー: 沖積舎
  • 発売日: 1994/10/24
  • メディア: 単行本




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ナイル2020年11月号掲載歌【雲となるまで】 [ナイル短歌工房]

餌をねだる燕の子らのひしめけばいつに変はらぬ夏これにあり

ひたひたと荒れ野に水の染むごとくあひみたがひの民草の風

くれなゐのカンナが天気図を燃やすはげしき夏にわたしの不在

空白の夏に真昼のたゆたひは合歓の吐息の雲となるまで

ひとけなき午後の路傍の白壁にあきつの影の軌跡まぼろし


*冊子は5首目に誤植があります。

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ナイル2020年10月号連載【〈短歌版〉私の本棚・35 LONESOME隼人】 [ナイル短歌工房]

 郷隼人の第一歌文集。プロフィルには「鹿児島県出身。若くして渡米。1984年、殺人事件で収監。以後、終身犯として20年米国の刑務所に服役中。独学で短歌を学び、所内より投稿を続け、96年朝日歌壇に初入選(後略)」とある。

  囚人のひとり飛び降り自殺せし
  夜に「Free as a Bird(フリー アズ ア バード)」ビートルズは唱(うた)う

 囚人の自死の歌は意外に多い。「Free as a Bird」はジョン・レノンの死後に残った三人によって完成された曲で、歌詞の含意との呼応を考えさせられる。

  一瞬に人を殺(あや)めし罪の手と
  うた詠むペンを持つ手は同じ

 「この手もて人を殺(あや)めし死囚われ同じ両手に今は花活く」(島秋人)を思わせる歌。事件の周囲を詠んだ歌は多少あるが、「殺」の字を使った歌はこの一首しかない。殺人者かつ歌人という視点で言えば、例えば坂口弘の『歌稿』に比べ、自身の犯罪に関する歌が極端に少ない印象を受ける。

  老い母が独力で書きし封筒の
  歪(ゆが)んだ英字に感極(きわ)まりぬ

 故郷で仮釈放を信じて待つ母を呼んだ歌は多い。

  報復を恐れての処置かアラブ系の
  囚徒いきなり髭(ひげ)剃(そ)り落としぬ
  イラン、イラク、トルコ人まで見かけぬ獄庭(ヤード)
  空爆開始のあの夜以来

 アメリカ同時多発テロ事件後の歌だろう。「報復」は所内でのリンチを指すと思われ、多民族国家の複雑を反映した閉鎖社会の恐怖をも感じさせる。

  無念なり手塩にかけしグッピーを
  トイレに流さるる房内検査(セルサーチ)にて

 看守によるいじめにも似た仕打ちを詠んだ歌もある。

  囚徒とは知らずじゃれつく仔猫らの
  体温ぬくし霜降(お)りし刑庭(にわ)

 猫や鳥など、動物を詠んだ歌は多い。囚人はみな生き物に優しく、いじめたりする者はいないという。孤独な生活の裏返しであろうか。

  娑婆(しやば)にては少数民族(マイノリティ)の黒人が
  多数派民族(マジョリティ)となるアメリカン刑務所(プリズン)

 黒人の犯罪率の高さが人種差別に起因する貧困問題と密接な関係があることは知られている。所内の人口比は歪んだ社会構造を反映しているといえよう。

  罪のなきホームレスらに較ぶれば囚徒らの聖夜豪華な聖夜

 著者は別の歌で、同じ朝日歌壇のホームレス歌人・公田耕一を詠んでいる。この歌も彼らを思って詠んだものだろうか。

  銃殺の刑を選びし罪人(つみびと)の処さるる朝の空は穏やか

 米国では、死刑執行の方法は本人の選択制による州が大多数だ。自己決定がほとんど許されない中での最期の選択、ある種の爽やかさと平穏が感じられる。

  真夜(まよ)独り歌詠む時間(とき)に人間と
  しての尊厳(ディグニティ)戻る独房

【書籍情報】
郷隼人『LONESOME隼人』幻冬舎、二〇〇四


LONESOME隼人 ローンサム・ハヤト

LONESOME隼人 ローンサム・ハヤト

  • 作者: 郷隼人
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎
  • 発売日: 2014/02/20
  • メディア: Kindle版



*結社誌編集の都合上、今月は連載が2編掲載されました。

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ナイル2020年10月号連載【〈短歌版〉私の本棚・34 その木は這わず】 [ナイル短歌工房]

  這松帯みどり敷く中のななかまどその木は這わず早き紅葉

 群馬県のハンセン病療養所「栗生楽泉園」には、入所者の社会運動を押さえ込むために国が開設した「重監房」があった。特別病室の名のもとに延べ入所者の四分の一、二三人が死亡した実態については、同園の入所者であった沢田五郎の『とがなくてしす』に詳しい。

 歌人でもあった沢田は何冊かの歌集を残しており、『その木は這わず』はそのうちの一冊である。

  その昔特別病室の跡所盲導塔は歌う「ここはどこの細道じゃ」

 重監房は使われなくなった後放置され、自然倒壊したという。盲導塔は盲導鈴ともいい、視覚障害者に場所を知らせる機械である。「通りゃんせ」の歌詞と相まって、独特の雰囲気を感じさせる歌である。

  唐丸籠に入れられ炎天に置かれあり逃走患者二度目の送致

 唐丸籠は江戸時代、罪人の護送に用いた、上を網で覆った竹駕籠のこと。逃走の果て捕らえられた患者が、身動きできない籠に閉じ込められたまま炎天に放置されるという、過酷な状況が描かれている。

  面会の子が帰るたび呆け果てつく溜息は只事ならず

  「息子が親に自殺を頼む事件があった(二十五年前の事)」と詞書きのある連作。淡々とした詠みぶりのうちに、体面のために我が子に自死を強いられた患者仲間を思う深い怒りと悲しみ、諦念がにじむ。
  背広着る息子がよもやと思ううち森に連れ行く病むその父を
  せかされて仰いだらしい劇薬は顎を伝いて皮膚も焼きあり
  日暮れ頃足早に立ち去る若き男村人は見しがそれだけのこと

 全国に悪名を轟かせた重監房があった一方で、栗生楽泉園は、患者同士、患者と健常者が結婚し、敷地内に個宅を設けて住むことも可能だったようだ。

  家建てて健康妻と暮らすもよし湯之沢患者をここに誘いき

 「湯之沢患者」はもと湯ノ沢集落の患者であろうか。湯ノ沢集落自体が、明治十九年にハンセン病患者を村外れに移転させできたもので、栗生楽泉園開園に伴い解散した、いわば患者隔離のはしりである。

 視覚障害のあった著者。触覚や嗅覚を感じさせる歌は、繊細でもあり、今ある身体を使い切る生の営みの表現でもあろう。

  色褪せぬ竜胆の花もあるべきを杖にからむ草唯に打ち行く
  杖振れば草穂は種をこぼすなり秋を聴けとやまろぶその音
  職員の植えくれしパンジー一葉一葉唇に数え花を待つなり
  入り組める療舎の屋根を吹き抜ける風のかけらは庭に渦なす
  地を摑み切々と鳴く蟋蟀は生命に沁みて響き来るもの

【書籍情報】
沢田五郎『その木は這わず』皓星社、一九八九

-新日本歌人協会叢書-その木は這わず 沢田五郎歌集

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ナイル2020年10月号掲載歌【まさゆめ】 [ナイル短歌工房]

存在が反差別とぞゆくりなき訃報ながるる水無月のあさ

ひるがへる抗争の旗おもひつつわれ七月の路上に立ちぬ

むし暑き地下のホームはくちのなく目もとけはしき顔の多かり

まさゆめに惑はされつつ長梅雨に降り込められて文月の過ぐ

色あせしのうぜん揺るる昼さがりひとよのすゑはかくもあらなむ
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ナイル2020年9月号連載【〈短歌版〉私の本棚・33 デカダン村山槐多】 [ナイル短歌工房]

 福島泰樹の第二二歌集。初版限定千部、一ページ一首組、村山槐多の草稿や素描、版画を複数配したぜいたくな歌集である。

 村山槐多は明治・大正時代の洋画家。作品数は多くないが、深い茜色(ガランス)を多用した情熱的・退廃的な画風は見る人の印象に残る。

 第一章「décadent」には大正デモクラシーを生きた男女、無政府主義者といった人々が描かれ、猥雑とも思える刹那的な生気を感じさせる。

  「春三月縊り残され」リンネルの背広姿に黒い花散る
  肺肝を披けばフアシズム擡頭の爆発しそうな蜂の巣である
  あられなき肉塊となり十二階下を歩まば饐えた画架(イーゼル)

 連作「神田春」は、9・11以降の紛争の影を色濃く映している。神田春という人名は、アフガン侵攻で激しい攻撃に晒された古都カンダハルと音を同じくしている。

  繚乱の春を縊れてゆくなるか錐、紐、火箸、神田春はや
  離陸寸前震えて描きし飛行機よ帝都の空を焦がし飛び行け
  壜、羅針とりとめもなき大慈悲(かなしみ)の魔の摩天楼黒時雨降れ

 第一章終盤には、第二章への連続性を感じさせる歌が配されている。

  あまた若き大正の顔 ガランスの薔薇も咲かさず散つてゆくのか
  莫逆の時は移ろい陽は昇り貴様と帰るさぶき荒屋(あばらや)

 第二章「村山槐多」は、槐多の誕生から死去(跋文では「自爆」)までが歌われている。「Ⅰ」には第一章Ⅰと重複した歌が複数あり、後の退廃的な画風や槐多の生きざまを思わせる構成となっている。

  廃園に月は昇りてありしかな あかき光妖(ひかり)を放擲(なげ)ておりしが
  悲しみの眸を上げよむね披けこの官能の赤裸主義(セキラリズム)よ
  逞しき浴女あどけなき巡査など尿(いばり)あふれて画帳を濡らす
  塊(マツス)その燃え立つ想い噴射せよ 槐多怒れば赤い消化器
  なけなしの赤を絞れば帝都いま焦げて廻れり血のラッパ吹け
  大正を生き滅びたる男らの闇を響動(とよ)もし歌が聴こえる
  そうだとも世界はあまくなやましく痺れるほどの快楽(けらく)に溢れ

 槐多は大正デモクラシーの只中、大正八年にスペイン風邪で夭折。時代はその後、大正一四年の治安維持法制定を経て、翼賛体制から戦争へ突き進んでゆく。アメリカでも9・11後国際テロ組織の脅威が声高に謳われ、アフガン紛争、イラク戦争へと発展した。民主主義とは洋の東西を問わず、守ってゆかなければかくもはかないものなのだろうか。

  ああ春は花結びして紗に透けて露わな脚となりて儚や

【書籍情報】
福島泰樹『デカダン村山槐多』鳥影社、二〇〇三年


デカダン村山槐多

デカダン村山槐多

  • 作者: 福島 泰樹
  • 出版社/メーカー: 鳥影社
  • 発売日: 2003/02/01
  • メディア: 単行本




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