ナイル2020年11月号連載【〈短歌版〉私の本棚・36 鎌倉もだぁん】 [ナイル短歌工房]
鎌倉在住の歌人・尾崎左永子の歌集。題にあるとおり鎌倉尽くし、鎌倉を詠った歌を集めたものだ。前がきには「いつのまにか二十年近くこの街に住んで、今の私は、生まれ育った東京よりも、この鎌倉の方が好きになっている」「いわばこれは、私にとっての鎌倉讃歌である」とある。オーソドックスな季節ごとの構成で、思いのほか固有名詞が少なく、鎌倉の自然の移ろいとそこに喚起される自照が感じられる。
降り霧らし海さへ見えぬ湘南の春の雪よいたく心惑ふまで
雪とともに海から霧が上ってくるのだろうか。見慣れた風景であるはずなのに閉ざされた視界と、内心の惑いが重なる。
飛ぶ花の樹下に佇ちて手を振りし訣れを思ひ永くおもはず
とめどなく散る花のごとひるがへりひるがへりつつ記憶遠のく
「訣」は永訣などに使うように「きっぱり別れる」の意。思いを巡らすが永遠に拘泥することはない。時の流れに寄り添った生きざまが思われる。
窓に若葉さわぐ月の夜眼の青き人形は眼を閉ざさず眠る
ビスクドールは横倒しにすると目を閉じるものが多い。若葉と座ったまま終夜眠らない眼の色のつながり、眼の奥のざわめきを感じさせる。
撓(たわ)むといふ力したたかに紫陽花の重たき花は地に触るるまで
風に揺れて竹が互(かた)みの幹を撃つ虚ろの音をあるときは聴く
あかつきの闇はやさしも蜩(ひぐらし)は水の輪のごと声重ねゆく
鎌倉を、ことに独りで歩いたことのある人なら、思い出す風景があるかもしれない。
砂の陰翳(かげ)蒼き頃ほひ炎天の匂ひを帯びて海昏れんとす
「炎天の匂ひ」は人の匂いでもある。人少なになった晩夏の海だろう。
午后の日の闌(た)けつつ浜に乾きゆく悔過(けくわ)・貝の殻・わが秋の髪
悔過は仏教用語で、罪や過失を懺悔すること。生々しさを失ってゆく悔恨と、貝の亡骸、秋の髪は人生の暮れをも感じさせる。
渚遠くつづく足あと洗ひゐる夕波よわが愁ひ消さざれ
足跡を消し去る波への呼びかけに、忘却へのひそやかな抗いが感じられる。
海の色とどむるゆゑに小鰯の光るを買ひて風の街帰る
生けるまま凍りし魚(うを)の光る背に海の色あれば罪のごとしも
一首目は秋、二首目は冬の歌。光る魚にとどまる「海の色」は季節によって含意を変える。
新月の鋭(と)き窓よりぞ思ふことみな脱れゆく夕やみのなか
歌集最後の一首。「思ふこと」は煩悩にも通じるかもしれない。終わりであり始まりの月に、「いっさいは過ぎてゆく」というかの境地が感じられる。
【書籍情報】
尾崎左永子『鎌倉もだぁん』沖積舎、一九九四年
降り霧らし海さへ見えぬ湘南の春の雪よいたく心惑ふまで
雪とともに海から霧が上ってくるのだろうか。見慣れた風景であるはずなのに閉ざされた視界と、内心の惑いが重なる。
飛ぶ花の樹下に佇ちて手を振りし訣れを思ひ永くおもはず
とめどなく散る花のごとひるがへりひるがへりつつ記憶遠のく
「訣」は永訣などに使うように「きっぱり別れる」の意。思いを巡らすが永遠に拘泥することはない。時の流れに寄り添った生きざまが思われる。
窓に若葉さわぐ月の夜眼の青き人形は眼を閉ざさず眠る
ビスクドールは横倒しにすると目を閉じるものが多い。若葉と座ったまま終夜眠らない眼の色のつながり、眼の奥のざわめきを感じさせる。
撓(たわ)むといふ力したたかに紫陽花の重たき花は地に触るるまで
風に揺れて竹が互(かた)みの幹を撃つ虚ろの音をあるときは聴く
あかつきの闇はやさしも蜩(ひぐらし)は水の輪のごと声重ねゆく
鎌倉を、ことに独りで歩いたことのある人なら、思い出す風景があるかもしれない。
砂の陰翳(かげ)蒼き頃ほひ炎天の匂ひを帯びて海昏れんとす
「炎天の匂ひ」は人の匂いでもある。人少なになった晩夏の海だろう。
午后の日の闌(た)けつつ浜に乾きゆく悔過(けくわ)・貝の殻・わが秋の髪
悔過は仏教用語で、罪や過失を懺悔すること。生々しさを失ってゆく悔恨と、貝の亡骸、秋の髪は人生の暮れをも感じさせる。
渚遠くつづく足あと洗ひゐる夕波よわが愁ひ消さざれ
足跡を消し去る波への呼びかけに、忘却へのひそやかな抗いが感じられる。
海の色とどむるゆゑに小鰯の光るを買ひて風の街帰る
生けるまま凍りし魚(うを)の光る背に海の色あれば罪のごとしも
一首目は秋、二首目は冬の歌。光る魚にとどまる「海の色」は季節によって含意を変える。
新月の鋭(と)き窓よりぞ思ふことみな脱れゆく夕やみのなか
歌集最後の一首。「思ふこと」は煩悩にも通じるかもしれない。終わりであり始まりの月に、「いっさいは過ぎてゆく」というかの境地が感じられる。
【書籍情報】
尾崎左永子『鎌倉もだぁん』沖積舎、一九九四年
2020-11-04 19:59
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