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手につつむあたたかさ [こころ]

いたつきの帰路に聞きてし「久しぶり」手につつむツナボールのぬくし


通院している病院のすぐそばに、おいしいパン屋さんがあります。

おしゃれといった感じではなく、昔ながらの手作りパン屋さんは
こんな感じだったろう、というところです。

住宅地の一角にありとても分かりにくいのですが、毎朝、
個人タクシーの運転手さんが腹ごしらえをしていたり、
来院の方がコーヒーを飲んだりしています。

病院の敷地内は禁煙なので、店先の植栽のへりに腰掛けて
入院着のままたばこを吸う人もいますが
それも黙認(笑)。

お店のおばちゃん(と言っていいのかな)がとても明るく元気なのです。
たまにしか寄らない私にも「あら、久しぶり!」「こんにちは」などと。

ツナボールはパンの中にツナの練り物を入れ、パン粉をつけて揚げたものです。
まん丸で、両手で包めるほどですが、とてもおいしいのです。
今日(日をまたいだので昨日ですね)は揚げたてで、帰宅してから
遅い朝食にひらいても、ほんのり温かかったです。

2013年6月4日 [こころ]

台形に切り取られたる空の端にけさを逢ひにし黄揚羽およぐ

「さうさう」と「いい子だ」は類義やもしれぬ背骨をさぐる指つめたかり

まなうらにあを深みゆき沈みたる海の底ひにとまる識域

地にありてやさしき剣をたづさふる若き外科医のまなこすがしき

暮れなづむ湾岸線にひとのなく高架を照らす灯の黙しけり


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楽器で語る三十一文字 [こころ]

カリヨンが光の粒を撒き散らす夕べの街の傾(なだ)りあやふし

東京は新宿西口広場のカリヨン時計を詠んだ歌です。

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ビックカメラの進出に伴い撤去され、
現在は「カリヨン橋」など名称に名を留めるだけですが、
かつて、新宿駅西口広場にカリヨン時計がありました。

2年ほど前のこと、詠んだ歌に対して
新宿西口を舞台にした歌をいただき、
驚きとともに感慨しきりだったことがありました。

世代的に捉えるものに差はあるだろうとは思いましたが、
いただいた歌へのオマージュとして
自然に浮かんだ歌を投稿しました。

題詠「潜」 [こころ]

意識下の青い静寂に潜みつつチョウチョウウオは花を知らない

紫苑は「潜」と「しきり」のどちらかを用いて
口語の歌を作ってください。 http://shindanmaker.com/186125

   chocho-uo.jpg
   妹尾正彦、海底庭園の蝶々(海底庭園に蝶々ありき、チョオチョオ魚という)

コスモス三首 [こころ]

カレンダー繰れば群れ咲くコスモスを渡れる風はわが頬を撫づ

もらひ涙はつかに苦し聞き手ゆゑ捨つるものあり秋桜搖るる

風はらみ野に咲く夢に涙ぐむかの時雨降るコスモスの鉢


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Photo by Akira Kitano

震災歌集 [こころ]

先月、「震災歌集」という本が出版されたそうです。


震災歌集

震災歌集

  • 作者: 長谷川 櫂
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2011/04
  • メディア: 単行本



著者は長谷川櫂。俳人です。
震災からわずか12日間のあいだに詠んだ歌をまとめたもののようです。

まだ読んでいないので、
俳人である長谷川氏がなぜ短歌という表現方法を選んだのか
自分の目でたしかめたわけではありません。

文語の定型短歌を選んだ点について、読売新聞の書評で触れられています。

短歌という表現方法を用いること、震災との向き合い方、距離の取り方について
書評の中にひとつの答えがあるように思います。


『震災歌集』 長谷川櫂著

私の心、あなたの心

 まず興味をもったのは、今回の震災を、俳人である長谷川櫂がなぜ短歌に詠んだのかということ。

 「荒々しいリズムで短歌が次々に湧きあがった」と言うが、その刹那、言葉は俳句を選ばなかった。そこに短歌という定型の本質があるのだと思う。

 時を隔てた映像なら見たことはある。今回のが今までと違うのは、凄(すさ)まじい津波がライブとしてテレビ画面に溢(あふ)れ続けたことだ。それを見た人は誰も、心を失くし言葉を忘れてへたり込む。そして、その先にようやく浮かびあがった心を、言葉として結ばせるのは短歌しかなかった。

 「かりそめに死者二万人などといふなかれ親あり子ありはらからあるを」「降りしきるヨウ素セシウム浴びながら変に落ち着いてゐる我をあやしむ」「火の神を生みしばかりにみほと焼かれ病み臥(こや)せるか大和島根は」――誰にも詠めそうな伝統短歌(和歌)で、内容は共感しやすい。

 抒情(じょじょう)と定型を本質とする短歌は、この列島に住む人々が見いだした、おのれの「心」を言葉にできるゆいいつの方法だった。だから句作を本職とする長谷川ですら、五七五七七が口をついて出たのである。

 同じく定型表現でも、三句しかない俳句はまっすぐに心に向き合うことを避けようとし、五句の短歌は自らの思いを歌おうとする。しかも定型であるゆえに、表現された「心」は私の心であるとともに、あなたの心にも重なる。ということは類型化しやすく共振しやすいわけで、本書の歌々も、いずれは「作者未詳歌」「読み人知らず」へと昇華するだろう。そこが、個性を前面に出したい現代短歌や現代詩、あるいは小説とは根源的に違うところである。

 映像を眺めているしかなかった人の無力感をどのように掬(すく)い取るか、今はまだ声など出せない被災者の心と言葉を、どのように拾いあげ遺してゆくか。さまざまな手段があっていいが、定型であるという点で、短歌は有力なツールの一つになるということを、本書は教えている。

 ◇はせがわ・かい=1954年、熊本県生まれ。俳人。句集『虚空』で読売文学賞。本紙朝刊に詩歌コラム「四季」を連載。

 中央公論新社 1100円

評・三浦佑之(古代文学研究者・立正大教授) / 読売新聞 2011.5.1

震災と短歌 [こころ]

「ナイル」6月号には予想通り震災詠が並びました。

会員は全国にいますので、実際に被災した仙台在住の方もおられる一方、
ニュースでのみ震災に触れた方もあるのではないかと思います。

私の所属しているグループでも震災を詠んだ方は多かったのですが、
震災から3ヶ月経って結社誌が発行された現在
震災との距離の取り方、というか手放し方
(客観視する、というような意味でしょうか)が問題にされています。

たしかに私自身、震災直後は、というより約1ヶ月ですが、
普通の心理状態では歌が詠めない時期が続きました。

何か得るところがあればと、窪田空穂さんの関東大震災の連作や、
直近の阪神大震災の歌を検索しては読む日が続きました。

そんな中で、神戸市に震災関連のデータベースがあり、
震災に関連した詩歌の出版物がリストアップされていることを知りました。

   神戸市:震災関連資料リスト 詩歌

リストを見ていて気づいたのは、もちろん被災地域の方の作品がほとんどなのですが、
震災を詠んだのは被害を受けた地域の方に限らないこと、
何よりも詠まれているスパンが数年と予想より遙かに長いことでした。

今回の東日本大震災は阪神淡路大震災より規模が大きく、
付帯する原発による被害もあることから
作品が生まれるスパンは阪神淡路大震災より長いとみるべきでしょう。

ここからは詠み手それぞれの問題で、ひとさまについて判断はできませんが
私に関する限り、いま震災と詩歌の距離を云々するのは
あまりに早すぎる気がしてなりません。

特に被災地域の方々にあっては作品を生み出すことが
気持ちの整理や浄化につながる部分があると思うので、
この時期に作品を無理に手放す必要はまったくないと思います。

震災詠の場合、普段は詩歌に接していない人でも
目にする機会があるかもしれません。
その場合まず求められるのはリアリズムでしょう。
いましばらくは、作品を読んで
「あのときは大変だったよね、そんなこともあったよね」
という共感を呼び起こすことが重要ではないかと思うのです。

「時が解決してくれる」というのはいかにも安直な言い方ですが、
時間の経過が果たす役割はとても大きいのではないでしょうか。

自分が震災を詠むにあたって気をつけたことは、
伝聞を未消化のまま歌にしないことでした。
もちろん詠み手である以上、詠んだ歌と自分の距離はみえるわけですが
あえて震災当日に詠んだ距離が非常に近いものから
半月程度経ったときに詠んだものまでを意図的に混ぜ、
ほぼ時系列にして掲載しました。

宗教を詠む [こころ]

マグダラのマリヤの涙ほろほろと鳳仙花咲くノリメタンゲレ

この国で基督を説くわれもまたパトモス島の流人のひとり


この二首を詠まれた住谷眞師は
日本キリスト教会(日本基督教団ではない)の牧師さまであり、
「ナイル」の同人でもあります。

こういった宗教詠はその背後にある聖句や伝承を解さなければ
理解しがたいことは承知しています。

一首目の「ノリメタンゲレ ~ nori me tangere」は
復活後のキリストが発した「我に触れるな」という意味です。

鳳仙花の英名は「touch me not」、
それを踏まえてこれほどまでにこころ深く訴える歌を
私はいままでに知りません。

二首目の「パトモス島の流人」は
黙示録の著者であるヨハネを示しています。
聖書に出てくる「ヨハネ」は荒野の預言者ヨハネ(「サロメ」で有名)、
弟子として招命されたシモンの兄弟のヨハネ、
黙示録の著者であるヨハネと複数人おり、
イエスと直接の接点はないながら「黙示録」を記した
背景を知らなければ、この歌は理解しがたいと思います。

何かを引用する、なぞらえるということはそういったリスクを孕みつつ
一次作品を踏まえれば思索が無限大に拡がる可能性を秘めています。

今回「この国で基督を説くわれもまた」に触発されて詠んだ一首は
一読では理解されないことを予想しつつ、
ふだん辛口の方が理解してくださったことをこころから嬉しく思います。

基督を捨てえぬままに抗へば深い河(ディープ・リバー)の彼岸見えざり

   deep_rever.jpg


大島青松園の解剖台を詠む [こころ]

ほとばしる精絶たれしが生命なきみず流し去る石のまないた

今年の夏、瀬戸内の7つの島の共催で「瀬戸内国際芸術祭」が
開かれたことは、NHKの日曜美術館で取り上げられたので知っていました。

その中で印象に残ったのが、ハンセン病療養施設「大島青松園」で
かつて使われていた解剖台が、投棄されていた海中から引き揚げられて
園の敷地内に展示されていたこと。

   大島青松園_解剖台.jpg

戦前は「業病」「不治の病」とされ、入所者は家族と縁を切り
隠れるようにして入所したそうですね。
患者同士の結婚は許可されても出産は許されず、
強制堕胎や断種手術はあたりまえだったそうです。
解剖も、入所時に同意書に署名をさせられたらしいです。

つい最近、ハンセン病歌人の伊藤保氏の歌を知ったので、
ショックというか感慨ひとしおでした。

吾子を堕ろしし妻のかなしき胎盤を埋めむときて極りて嘗む
わが精子つひにいづべき管(くだ)閉ぢき麻酔さめ震ふ体ささへて帰る


そして昨夜。
偶然つけたテレビで、大島青松園を取り上げていました。
(NNNドキュメント'10「その手をつないで」)
時間がとても遅かったので全部は見られませんでしたが……

もと入所者の男性が独自に編み出した「大島焼」で
皿やカップを作り、瀬戸内国際芸術祭開催中に園内に設けられた
カフェで使ったのだそうです。

誰にも知らせず、名前も変えて入所したこの男性のことが
メディアで取り上げられ、ふいに消えた親友をずうっと捜し続けていた
高校時代の友人が、故郷の徳島から訪ねてきました。

握手した彼の手は、指先を欠いていました。
それでもまったく普通に懐かしげに接するもと同級生。

のちに彼は何十年出たことの無かった島を出て、
郷里への訪問を果たしたそうです。

島しょで催される芸術祭ということで、
「どうせ過疎の地の町おこしのためで、一時の効果しかなかろう」と
心のどこかで侮っていた自身を恥じました……。

短歌と差別語 [こころ]

既知外と叫ぶ老女の歩み去り路地は夏陽に影をうしなふ

   hideri.jpg

詠んだときは悩みました。
言い換えはきかない。
できれば本来の漢字を使いたい。
けれども世の趨勢として差別語は排斥される傾向にあり、
使って良いのかわからない。

これは先月の初めに詠んだものですが、
今回の「そののち歌会」にあえて差別語を使った作品が投稿されました。

歌評を書くに当たって皆さん引っかかるのはやはりその部分で……。

ちょっと調べてみると、短歌と差別語についてはいくつか
問題になったケースがあることがわかりました。

1.
82年秋、朝日は読者投稿の「歌壇」で「北鮮」という語を使った短歌2首を続けざまに掲載した(10月31日、11月28日)。教師らが抗議の声を上げた。朝日は当初、「言葉に文句をつけられたら短詩型文学は成り立たぬ」「地域名の略称だと思う」と対応(社内資料)、差別の意図はないことを主張した。
 抗議に加わった社会科教師の内海愛子(68)は、朝鮮史学者の梶村秀樹と明治の朝日新聞などを調べ、韓国併合(1910年8月)以降、「韓国人」「韓人」にかわって「鮮人」という言葉が急速に広く使われるようになったことを明らかにした。朝日は、差別語使用を反省し、社内研修を約束した。


「北鮮」「鮮人」は差別語か

2.
●差別用語を掲載した同人誌(3月6日)
短歌誌「新アラギ」(ママ)の掲載短歌に、
「つんぼ桟敷におかれましままに英会話入門講座十回終わりぬ」
「盲蛇におぢずイルメダの質問に単語をつなぎわが答えいる」
と掲載されていた。


2002年 県内における差別事件の概要

一方、歌に携わる人の意見はなかなか見つかりませんが、以下のようなものがあります。

1.
「歌言葉考言学」抄 ~たち、ども、どち~

2.
短歌教室 「短歌と差別語」

(2)は私も一時期添削をお願いしていた梧桐学先生の記事で、
「短歌と差別語」という疑問に短歌人として正面から回答なさったものです。

簡単に結論の出る問題ではありませんが、
1)悪意の有無
2)短詩型文学という特徴をどうするか(長文の言い換えがきかない場合の是非)
などに照らして、真摯かつ慎重に判断すべき問題だと思います。