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震災と短歌 [こころ]

「ナイル」6月号には予想通り震災詠が並びました。

会員は全国にいますので、実際に被災した仙台在住の方もおられる一方、
ニュースでのみ震災に触れた方もあるのではないかと思います。

私の所属しているグループでも震災を詠んだ方は多かったのですが、
震災から3ヶ月経って結社誌が発行された現在
震災との距離の取り方、というか手放し方
(客観視する、というような意味でしょうか)が問題にされています。

たしかに私自身、震災直後は、というより約1ヶ月ですが、
普通の心理状態では歌が詠めない時期が続きました。

何か得るところがあればと、窪田空穂さんの関東大震災の連作や、
直近の阪神大震災の歌を検索しては読む日が続きました。

そんな中で、神戸市に震災関連のデータベースがあり、
震災に関連した詩歌の出版物がリストアップされていることを知りました。

   神戸市:震災関連資料リスト 詩歌

リストを見ていて気づいたのは、もちろん被災地域の方の作品がほとんどなのですが、
震災を詠んだのは被害を受けた地域の方に限らないこと、
何よりも詠まれているスパンが数年と予想より遙かに長いことでした。

今回の東日本大震災は阪神淡路大震災より規模が大きく、
付帯する原発による被害もあることから
作品が生まれるスパンは阪神淡路大震災より長いとみるべきでしょう。

ここからは詠み手それぞれの問題で、ひとさまについて判断はできませんが
私に関する限り、いま震災と詩歌の距離を云々するのは
あまりに早すぎる気がしてなりません。

特に被災地域の方々にあっては作品を生み出すことが
気持ちの整理や浄化につながる部分があると思うので、
この時期に作品を無理に手放す必要はまったくないと思います。

震災詠の場合、普段は詩歌に接していない人でも
目にする機会があるかもしれません。
その場合まず求められるのはリアリズムでしょう。
いましばらくは、作品を読んで
「あのときは大変だったよね、そんなこともあったよね」
という共感を呼び起こすことが重要ではないかと思うのです。

「時が解決してくれる」というのはいかにも安直な言い方ですが、
時間の経過が果たす役割はとても大きいのではないでしょうか。

自分が震災を詠むにあたって気をつけたことは、
伝聞を未消化のまま歌にしないことでした。
もちろん詠み手である以上、詠んだ歌と自分の距離はみえるわけですが
あえて震災当日に詠んだ距離が非常に近いものから
半月程度経ったときに詠んだものまでを意図的に混ぜ、
ほぼ時系列にして掲載しました。

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