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私事ですが [その他]

「ナイル」が休刊になったので、結社を移ることにしました。
慣れないことも多いと思いますが
あまり肩肘張らずにいこうと思います。
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冬へ [その他]

ひとけなき野比の浜辺ゆひろひ来し貝は末期の砂をはきだす

値下がりの三浦すいくわをひとパック買うてわたしの夏は畢んぬ

ゆりのきの黄葉はいつ公園をゆけば降り来る詩情ひとひら

いつのまにキンモクセイの匂ひきて都会のかたへ秋は来にけり

銀杏のぽとりと落つる音のしてふりむけば空、空の日だまり

光芒はつるべ落としのあとの灯のごとく舗道に名残りのダチュラ

お酉さまことしはなくてさざんくわのすずろにひらく冬のはじまり


1月号の原稿でしたが、結社誌が昨年末で終刊になったため
こちらに載せました。

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2020年自薦5首 [その他]

つかのまをふたり眠れば風の鳴るビルの谷間はかなしき真昼
   「ナイル」2020年7月号掲載。

英雄のはなしは要らぬやへむぐら草に埋もるる被曝の村に
   角川『短歌』2020年6月号「全国結社の俊英・新鋭」掲載歌。

存在が反差別とぞゆくりなき訃報ながるる水無月のあさ
   「東京給水クルー」「怒りの可視化」代表の日下部将之さん。
   6月27日に急逝されました。
   「ナイル」2020年10月号掲載。

空白の夏に真昼のたゆたひは合歓の吐息の雲となるまで
   「ナイル」2020年11月号掲載。

大仏のしわひとつなき掌のうへに今宵ことしの初雪のふる
   「題詠100★2020」から「掌」。

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角川『短歌』6月号 [その他]

角川『短歌』6月号「全国結社の俊英・新鋭」に一首掲載していただきました。

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ブログパーツを外しました [その他]

サービス当初からお世話になっていた、植林を推進するブログパーツ
「グリムス」がサービスを終了したため、
ブログパーツを外しました。

終了は急だったようで、フェイスブックにもそれらしき記載はなく、
終了の理由も公開はされていないようです。

簡単に環境に貢献できるシステムだったのでとても残念ですが、
植樹をNGOの厚意に頼るのは無理があったのかも知れません。

それでも、ブログで育てた何本かの木が、モンゴル自治区やブルキナファソ、
九十九里にあるのは嬉しいことです。

植樹とは関係なくなるかもしれませんが、
自分のできることを考えていきたいと思います。

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【卍】その後 ~高須克弥氏のこと [その他]

ナイル11月号掲載の連作「卍」は8月末から9月はじめにかけて、
シャーロッツヴィルなど一連のナチス関連の出来事を詠んだものです。

その中に、高須クリニック院長・高須克弥氏を詠んだ一首がありました。

奇しくもそれが掲載された今月。

サイモン・ヴィーゼンタール・センターから、
アメリカ美容外科学会がSWCの勧告を受けて
高須氏を除名したと発表がありました。



さらに昨夜。
9月はじめに、高須氏に一連のことについて声明を出すように勧め、
助力を申し出ていた翻訳家・勝見貴弘氏と高須氏の面談があったそうです。




内容にも言及がありました。




私自身、高須氏の発言内容は到底許容できるものではないと思っています。
高須氏をはじめ複数のナチス礼賛発言が相次ぎ、
日本の国際評価を下げたことにも怒りを感じます。

その上で、物事に「たられば」はありませんが、
あの時声明を出していれば今回の除名は回避できたかもしれないと思うと
大変残念でもあります。

少しでも対応改善を期待し、推移を見守りたいと思います。
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大阪短歌チョップ2 [その他]

2月に開催された「大阪短歌チョップ2」の
記録が公開されたというツイートを読み、
「うたのかべ」に投稿していたことを思い出しました。

テーマが「町」だったので、寿町の越年闘争を詠みました。
票をくださった方、ありがとうございました。


具のおほき汁ひと椀につかのまの安きをとどめ年あらたまる(紫苑)

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カレーの短歌 [その他]

……と言われて、思い浮かぶのはこの一首。

ムルギーのカレーすすれば新東宝「お玉が池」のゆうひはあかく(仙波龍英)


7月でしたか、カレー短歌の募集があったのですが、
とてもこうはいきません。

ただ、真似して固有名詞(店名)を入れてみたかったので、地元編で作ってみました。

野毛山はほとほと甘し飯ごうは青葉のかげのアルペンジロー

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しゃがんだ人はいなかった [その他]

短歌とは何の関係もありません。

私が寿町に限って「カジノいる?いらない?」の調査に同行したのには
いくつかの理由があります。
(1)生活保護時給者にはギャンブルに限らず依存症の方が多いのは否定できない
(2)生活保護時給者はマイナンバーカードを持っている
(3)マイナンバーの確認が入場の前提になった場合、一番に食い物にされるのは困窮者ではないか

大前提として、生活保護受給者は、受給開始時にマイナンバーカードを持つことを半ば指示されます。

理由は
(1)自家用車を手放す場合を含め、運転免許証を持っていない
(2)診療費を免除される代わりに、健康保険証は預かりになる
(3)なので、公的に身分を証明するものが必要
という流れになると思われます。

大阪府の一部のように、顔写真付きの証明書と重複しているのは論外ですが。

それはともかく、生保受給者はマイナンバーカードを持たされているわけです、

で、カジノの入場に制限を設けるという案があります。
入場にはマイナンバーカードの所持が前提にされています。

生活保護受給者は、前掲のように、基本的にマイナンバーカードを持っています。
受給者の中には、賭博に限らず依存症の方も多く、
精神障害や発達障害などから、金銭管理が難しい方もいます。
現に、役所からの通知は総ルビ(すべての漢字にカナがふってある)です。
長年の肉体労働だったり、仕事中の事故で、仕事につけない人もいます。

外に出られる人はともかく、さまざまな依存症から逃れられない人もいます。
DARCに通った方、それでも過去の実績から逃れられない方の話も聞いています。

私が賭博に興味がないからと言って、差別的な意味で言っているわけではありません。
日本三大ドヤ街を抱えている東京都、神奈川県、大阪府、すべてカジノ誘致に名乗りを上げています。

外国人観光客の調査がまったくできていない状態で、大阪府が言うように国内来場者の制限を外したら、結果は明らかです。

それとは別に知って欲しい。
寿町で、しゃがんだ人はいなかった。












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#これを見た人は本を読み始めたきっかけを語らねばならない [その他]

ツイッターにこういうハッシュタグがありました。

タイムラインをざっと読むに、本を読み始めたきっかけは人さまざまですが、
「身近に本があったから」という方は多いですね。
他方、身近には本がなかったけれど、何らかの外からのきっかけで
本に接した、という方もおられます。

これは協議会の選定図書とか、親が推薦する図書の傾向は別として、
汎用的な規範があるわけではなく
ほんとうに人それぞれなのですね。

私の場合は

1.
読み聞かせは小学校高学年までありました。
弟が3歳下だったということもあります。
それは母の経歴と自負(ここでは省きます)に依るところも
大きかったでしょう。

2.
病欠しているときなど、「ラジオ図書館」を聞いた。
これは善し悪しです。
印象が強かった反面、『耳なし芳市』にしばらくうなされたことを覚えています。
寝付きが悪く、両親にも迷惑をかけました。

3.
誕生日プレゼントには本が一冊あった。
これはプラスです。ただ……。

4.
誕生日に用意された本と、図書室で借りた本がダブった。
これはやむを得なかったとはいえ、両親に交換の労をかけたことは
記憶に残っています。ただ、何に替えてもらったのか、覚えていません。
『春駒のうた』です。

5.
読書感想文が苦手だった。
これは、思ったことを言いたくなかったことが主なのと、
小学生ながら、思ったことを正確に表現できなかった
(語彙と表現力がついていかない)ことがもどかしかった。
たまたま、『かたあしだちょうのエルフ』の感想文をコンクールに出すというので
書き直させられたことがとても嫌だった。
また、『ああ五郎』について、現実を認識した上で
「どうなってしまったのだろう」と書いたところ
「死んだに決まってるでしょう」と母に言われてとても傷ついた。
それぞれ、言った方は忘れているだろうが。

6.
家には『少年少女文学全集』の一部、『ヘッセ選集』があった。
今思えば、ザッペルの『一年生時代』はお薦め。
家族の病気や、転校によるいじめがてらいなく描かれている。
ヘッセは、初読の年齢と作品によっての理解度が試されるところ。

7.
言えるのは、
与えられた読書環境と呼応するところもあるけれど、
自分の読書傾向を確立できるかということ。
それは、ジャンルを問いません。
ただ、読書傾向は語彙の形成に、確実に影響すると思います。
それをどう取捨選択し、自分に近づけるかは表現者次第、ということです。
また、どのような読み手に対してどういう表現を選ぶかということは、
発表の場に関わらず(例えばSNSの発言であっても)
問われるべきことだと思っています。

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