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宗教を詠む [こころ]

マグダラのマリヤの涙ほろほろと鳳仙花咲くノリメタンゲレ

この国で基督を説くわれもまたパトモス島の流人のひとり


この二首を詠まれた住谷眞師は
日本キリスト教会(日本基督教団ではない)の牧師さまであり、
「ナイル」の同人でもあります。

こういった宗教詠はその背後にある聖句や伝承を解さなければ
理解しがたいことは承知しています。

一首目の「ノリメタンゲレ ~ nori me tangere」は
復活後のキリストが発した「我に触れるな」という意味です。

鳳仙花の英名は「touch me not」、
それを踏まえてこれほどまでにこころ深く訴える歌を
私はいままでに知りません。

二首目の「パトモス島の流人」は
黙示録の著者であるヨハネを示しています。
聖書に出てくる「ヨハネ」は荒野の預言者ヨハネ(「サロメ」で有名)、
弟子として招命されたシモンの兄弟のヨハネ、
黙示録の著者であるヨハネと複数人おり、
イエスと直接の接点はないながら「黙示録」を記した
背景を知らなければ、この歌は理解しがたいと思います。

何かを引用する、なぞらえるということはそういったリスクを孕みつつ
一次作品を踏まえれば思索が無限大に拡がる可能性を秘めています。

今回「この国で基督を説くわれもまた」に触発されて詠んだ一首は
一読では理解されないことを予想しつつ、
ふだん辛口の方が理解してくださったことをこころから嬉しく思います。

基督を捨てえぬままに抗へば深い河(ディープ・リバー)の彼岸見えざり

   deep_rever.jpg


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コメント 2

浅草大将

お久しぶりです。何分下ネタに劣らず神ネタも好きなもので(笑)。ちょいと感想を。

住谷牧師の一首目はマグダラのマリアに焦点を当てた詠みですね。私などはどうしてもイエス・キリストを中心に考えますから、あの場面ではノリ・メ・タンゲレの真意や如何、などという読み方になってしまいます。歌にするとなると神学を離れた見方も大事か、と改めて思わされました。

二首目は使徒ヨハネとパトモス島のヨハネを同一人物ととる伝統的見解によるものか、別人ととる現代聖書学の通説によるものか、で多少ニュアンスが変わってくるように思います。前者なら生けるキリストに出会った者としてという立場、後者ならキリストを求める者としての立場、が前面に出てきます。どちらにしても、日本の社会におけるキリスト者のある種つらい立場を表現していることに違いはないですが。

紫苑様のお歌は、「基督」を「阿弥陀如来」に置き換えると、私にはリアリティーを持って迫ってきます。そういう時期がありましたから…。「うたのわ」へは改作されたものを出しておられましたが、私としては「彼岸」の語は落としてもらいたくないところですね。遠藤周作の「深い河」では、ガンジス川の中に救いを見出だすのだと思いますが、そこにあえて「彼岸」を設定する…かなり重い問題提起のような気がします。

十分に考えが煮詰まらない面があり、乱筆乱文失礼しました。
by 浅草大将 (2010-11-16 00:29) 

purple_aster

大将さま

コメントありがとうございました。

住谷師は宗教家、それも日基から分派した教派に属するわけですが、
詠まれる歌は宗教を反映したものから人間くさいものまで
独特のものがあります。

「頭で詠んでいるから」とおっしゃったことがありますが、
多面的な見方をいつも興味深く思っています。

「深い河」の歌はお察しかと思いますが「そののち歌会」に出したものです。
Deep Reverは遠藤作品ではガンジス川を指しますが、黒人霊歌ではヨルダン川を指すのだそうで
「向こう岸」は「約束の地」を示しています。

宗教詠は読み手にもある程度の予備知識を要求するので、
大将さまのようにかつて仏教に接しておられ、現在キリスト者でいらっしゃる方には
最も理解しやすいと思われますが、
宗教的知識でなく短歌的側面からみると、キリスト教的要素と仏教的要素が混在していることを
煩雑だと指摘するご意見もありました。
なかなか難しいものですね。


by purple_aster (2010-11-16 01:39) 

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