けやき通り [自然]
黄葉(わうえふ)のきざす並木よ汝もまた永遠(とは)に美(くは)しきものを欲らずや
私のHNの「紫苑」は短歌とはまったく無関係につけたものですが、
たまたま重なったところから「水原紫苑が好きなのか」とよく聞かれます。
水原紫苑の短歌は対象にまったくつかず、飛躍も大きいですし
「新古典派」と称されるように言葉選びも難解なので
取っつきにくい感じはしていましたが、
あまりに言われるので歌集を何冊か読んでみました。
気づいたのは、なんと言っても一読では具象に乏しいこと、
擬人化を含むメタファが多いことです。
100%真似はよくありませんが、
ときには彼女を模倣して真っ正直な詠みをちょっと離れてみようかと。
先月、横浜美術館に行ったときに通ったけやき並木を詠んだものです。
夏の草いきれはとうに過ぎ、かといって色づくには時期が早かったので
落ち葉特有のあまい匂いもせず……。
ふつうならあまり気に留めず、いかにも歌にしにくい過渡期という感じを
逆に掬い上げてみました。
この歌には「うたのわ」で返歌をいただいたのですが、
お返しいただいた歌のほうがこの歌より数段よくて(笑)、
何とも釣り合わず……ですが、大変嬉しく思いました。
ご諒解をいただきましたので「うたのわ」より転載いたします。
ありがとうございました。
(画像に保護機能が付いていて引用先にリンクが貼れないため、文中からリンクしました)
私のHNの「紫苑」は短歌とはまったく無関係につけたものですが、
たまたま重なったところから「水原紫苑が好きなのか」とよく聞かれます。
水原紫苑の短歌は対象にまったくつかず、飛躍も大きいですし
「新古典派」と称されるように言葉選びも難解なので
取っつきにくい感じはしていましたが、
あまりに言われるので歌集を何冊か読んでみました。
気づいたのは、なんと言っても一読では具象に乏しいこと、
擬人化を含むメタファが多いことです。
100%真似はよくありませんが、
ときには彼女を模倣して真っ正直な詠みをちょっと離れてみようかと。
先月、横浜美術館に行ったときに通ったけやき並木を詠んだものです。
夏の草いきれはとうに過ぎ、かといって色づくには時期が早かったので
落ち葉特有のあまい匂いもせず……。
ふつうならあまり気に留めず、いかにも歌にしにくい過渡期という感じを
逆に掬い上げてみました。
この歌には「うたのわ」で返歌をいただいたのですが、
お返しいただいた歌のほうがこの歌より数段よくて(笑)、
何とも釣り合わず……ですが、大変嬉しく思いました。
ご諒解をいただきましたので「うたのわ」より転載いたします。
ありがとうございました。
(画像に保護機能が付いていて引用先にリンクが貼れないため、文中からリンクしました)
2010-11-19 10:48
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コメント(4)
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上記の返歌、もしかして僕の作でしょうか?
だとしたら光栄です。違ったとしたら自意識過剰を恥じ入っておきます。
もし僕の歌ということでしたら、転載していただいても大丈夫です。
僕がネット上で公開した絵や歌は、引用元などを記載していただければ大丈夫ですので、都合いいように引用していただければと思います。
以上、私信のようなものですので、コメント欄への表示や返信は無しでも結構です。
追伸 紫苑様のお名前、僕も水原紫苑氏から取ったものかと思っておりました。勘違い申し訳ありません。
by 三沢左右 (2010-11-20 00:57)
初出時、「黄葉」にルビがなかったので、勝手に「もみぢば」と読ませていただきました(笑)。並木が色づきはじめる「過渡期」の感をうまくとらえておられる、と感じ入ります。
水原紫苑さんの歌は確かに難解ですね。わからないが美しい、というところがあって、私などそういう面に魅かれたりもしますが。よく言われる「新古典派」というのは、古典の真似事をやってる私にはちょっと抵抗をおぼえるところではあります。
by 浅草大将 (2010-11-21 19:56)
三沢 左右 さま
不躾なお願いを快諾していただき、ありがとうございます。
画像にて掲載させていただきました。
HNのことは、そう思われて何ら不思議はありませんのでお気になさらず。
私自身のものは、オーストリアの詩人ゲオルク・トラークルの
「滅び」という詩の一節から取ったものです。
by purple_aster (2010-11-22 00:51)
浅草大将 さま
お誉めにあずかり恐縮です(汗。
ルビをふるかどうか、というのは難しいところでいつも迷います。
「ナイル」では基本的にルビを振ることを勧めていませんが、
例えば植物の名前で当て字だったりして読みにくいものには
逆に振らなくてはいけないと歌会で注意されました。
この歌に限らず、自分ではあまり意識していないのですが
漢語を多用する傾向にあるとは歌評で指摘されますね。
水原紫苑さんについて言われる「新古典派」が何を意味するか
正確に把握していませんが、
単に文語旧仮名で歌題の取り方が古典的だという意味なら
いささか安直かと思います。
詩的飛躍や詠みの内容をみる限り、とても現代的だと感じます。
ただ、最近のライトヴァース全盛の傾向を考えると、
やはり現代でなく「近代的」といった感じなのか……。
「その時代のことば」でないという側面から考えると
やはり古典的と感じられるのかなとも思います。
by purple_aster (2010-11-22 01:01)