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大島青松園の解剖台を詠む [こころ]

ほとばしる精絶たれしが生命なきみず流し去る石のまないた

今年の夏、瀬戸内の7つの島の共催で「瀬戸内国際芸術祭」が
開かれたことは、NHKの日曜美術館で取り上げられたので知っていました。

その中で印象に残ったのが、ハンセン病療養施設「大島青松園」で
かつて使われていた解剖台が、投棄されていた海中から引き揚げられて
園の敷地内に展示されていたこと。

   大島青松園_解剖台.jpg

戦前は「業病」「不治の病」とされ、入所者は家族と縁を切り
隠れるようにして入所したそうですね。
患者同士の結婚は許可されても出産は許されず、
強制堕胎や断種手術はあたりまえだったそうです。
解剖も、入所時に同意書に署名をさせられたらしいです。

つい最近、ハンセン病歌人の伊藤保氏の歌を知ったので、
ショックというか感慨ひとしおでした。

吾子を堕ろしし妻のかなしき胎盤を埋めむときて極りて嘗む
わが精子つひにいづべき管(くだ)閉ぢき麻酔さめ震ふ体ささへて帰る


そして昨夜。
偶然つけたテレビで、大島青松園を取り上げていました。
(NNNドキュメント'10「その手をつないで」)
時間がとても遅かったので全部は見られませんでしたが……

もと入所者の男性が独自に編み出した「大島焼」で
皿やカップを作り、瀬戸内国際芸術祭開催中に園内に設けられた
カフェで使ったのだそうです。

誰にも知らせず、名前も変えて入所したこの男性のことが
メディアで取り上げられ、ふいに消えた親友をずうっと捜し続けていた
高校時代の友人が、故郷の徳島から訪ねてきました。

握手した彼の手は、指先を欠いていました。
それでもまったく普通に懐かしげに接するもと同級生。

のちに彼は何十年出たことの無かった島を出て、
郷里への訪問を果たしたそうです。

島しょで催される芸術祭ということで、
「どうせ過疎の地の町おこしのためで、一時の効果しかなかろう」と
心のどこかで侮っていた自身を恥じました……。

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