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ナイル2020年11月号連載【〈短歌版〉私の本棚・37 静物】 [ナイル短歌工房]

 小池光の第五歌集。装本は倉本修で、表紙絵は彼のコラージュという。『静物』の集題については、後記に「静物画の静物でもいいが、もっと字画どおりに静かな物という感覚がより気持ちを写しているだろうか」とある。
 「静物」を辞書で引くと「静止して動かないもの」とある。だが、この歌集に読まれている静物は、凪の底にある何かを感じさせる。

  ひとたばの芍薬が網だなにあり 下なる人をふかくねむらす

 網棚に横たわるたっぷりした花が、座席の人を昏々と眠らせている。静もっている芍薬にも眠っている人にも息づきがある。

  海(かい)彼(ひ)よりきたる果実を盛り上げて三方はいま死者のまくら辺(べ)

 静謐な死者のおくりからそこはかとないエキゾチシズム、彼岸までを思わせる広がりをもった歌である。

  うしみつの台所に来てひとり食ふカステラがわがいのちの証(あかし)

 真夜中の台所でカステラを食う。ただのカステラではない、杉の木箱にずっしり重い特別なカステラだ。食欲というよりはひとりでこっそり贅沢をしたい衝動か。肉体と精神の欲求を映すカステラは命の証だ。

  八月十五日ならめ まないたに動かざる蛸の生足(なまあし)いつぽん

 タコ一杯ではなく一本の足だけがまな板にある。バラバラの戦死者にみるのは凄惨かつ雄弁な沈黙か。

  山岡やめ山中やめず山中に生えそめし髭のあはきかはゆさ

 連作の他の歌から山岡がやめたのはオイチョカブだと分かる。髭が生え始める頃なら中学生か。少年期を脱しつつある生徒の悪さを処罰しながら、教師としての細やかな視点が感じられる。

  銀杏(ぎんなん)が傘にぼとぼと降つてきて夜道なり夜道なりどこまでも夜道

 「ぼとぼと」のオノマトペが銀杏の落ちる音と同時に秋雨の音にも感じられる。下の句のルフランと字余りが、夜道が永遠に続くかのような感覚を醸し出す。

  身の上をおもひ嘆かふこともなく猫にとりあたたかき処(ところ)のみ善
  苔のうへにこもれびの日が差すところ腹ばひゐたり猫のすがたに

 連作「猫類」。自らの確たる価値観に従い、猫の姿に腹ばう猫の実体は何だろうか。

  被爆国をおほへるしろき聖骸布(せいがいふ)とりはらはれてまひるの沼地

 聖骸布はイエス・キリストの遺体を包んだとされる布。唯一の被爆国である日本、「特別な存在」としてのヴェールの下はどのようであったか。核の問題は現在も尾を引いている。

  ひぐらしは羽透きとほり胡桃の木遠き日の木にこゑすきとほる

 「遠き日」はいつか、胡桃と遠き日の木が同じものかは分からないが、それでよいのだろう。静けさの中に生の連環を感じさせる一首である。

【書籍情報】
小池光『静物』砂子屋書房、二〇〇〇年


静物―小池光歌集

静物―小池光歌集

  • 作者: 小池 光
  • 出版社/メーカー: 砂子屋書房
  • 発売日: 2020/11/04
  • メディア: 単行本




*11月号には編集の都合上、連載が2編掲載されました。

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