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ナイル2020年12月号連載【〈短歌版〉私の本棚・38 形相】 [ナイル短歌工房]

 内村鑑三の薫陶を受けた敬虔な無教会派クリスチャンで、戦後すぐ東大総長を務めた南原繁の歌集。表題はあとがきに《実在の単なる仮象ではなく、アリストテレス謂うところの、永遠的なるものの「形相」(エイドス)としての生の現実感》とあるように「けいそう」と読む。自然詠、旅行詠なども収められており、挽歌にはページ数が割かれているが、紙数の都合上、時事的な要素やそれを反映したと思われる思索に絞って紹介を進める。時代背景を参照されたく、歌の末尾に詠まれた年を記した。

  いのち死すといふはたやすし現身(うつしみ)は生きつつをりて昼も夜(よる)も苦しむ(昭11)

 結句の字余りが強意を強くする。二・二六事件のあった年、言論統制がすでに始まっていたことを想起させる歌もある。

  留置場の高窓に見る空のいろにも心うつりて思ふことあらむ(昭13)

 教授グループ事件。東大では大内兵衛らが逮捕された。治安維持法第一条の目的遂行罪が拡大解釈され、弾圧が大学に及んだ。

  この一年(いちねん)の講義終へけりわれ机にむかひて熱き涙とどまらず(昭13)

 連作「終講」。暗雲立ち籠める社会情勢の中、大学人としての思いが垣間見える。

  相欺き憎み戦ふ世にありて愛を説き平和を説くは非現実か(昭14)
  いまの現(うつ)つに世を憤りはた自らを嘆けばつひに学者たらじか(昭15)

 昭和十四年九月に第二次世界大戦が始まった。欧州では戦争が拡大の一途を辿り、国内は軍部による統制が進む中、クリスチャンとして現実との乖離に苦しみつつ、学者とて象牙の塔にいられないと感じたものか。

  民族は運命共同体といふ学説身にしみてわれら諾(うべな)はむか(昭16)

 開戦の日の作。資料によれば「運命共同体」は出典を離れて、国家主義の台頭とともに日本で喧伝されたようである。

  天地のひとつのこころ成らしめよ国々いくつ滅び去らむも(昭17)
  教へ子らはいのちをたぎち出でゆく日われ風邪ひきこもりつつをり(昭18)
  戦の果(はて)はあらばあれ秋の日の野の上(へ)に赤く昏れ入りにけり(昭19)

 学徒出陣から東京大空襲を経て、敗戦の色はいよいよ濃くなってゆく。

  ただならぬ時代(とき)の流れのなかにして汝(な)がたましひを溺れざらしめ(昭20)
  わがどちのいのちを賭けて究めたる真理のちからふるはむときぞ

 「元旦独語」から。すでに敗戦とその後を見通した歌である。

  真夜(まよ)ふかく極(きは)まるときし東(ひむがし)の暁(あけ)の光のただよふにかあらし

 南原は国際正義に基づく軽軍備(解釈改憲)を容認していたが(『第九条の問題』)、朝鮮戦争を機に、改憲論とともに再軍備をも否定する立場に転じた(『民族の危機と将来』)。戦前回帰ともいわれる現在、この歌集の意味をいま一度問い直すときに来ているのではないだろうか。

【書籍情報】南原繁『形相』ほるぷ出版、一九七五年


形相―歌集 (1968年)

形相―歌集 (1968年)

  • 作者: 南原 繁
  • 出版社/メーカー: 図書月販・出版事業部
  • 発売日: 2020/12/06
  • メディア: -



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