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ナイル2020年10月号連載【〈短歌版〉私の本棚・34 その木は這わず】 [ナイル短歌工房]

  這松帯みどり敷く中のななかまどその木は這わず早き紅葉

 群馬県のハンセン病療養所「栗生楽泉園」には、入所者の社会運動を押さえ込むために国が開設した「重監房」があった。特別病室の名のもとに延べ入所者の四分の一、二三人が死亡した実態については、同園の入所者であった沢田五郎の『とがなくてしす』に詳しい。

 歌人でもあった沢田は何冊かの歌集を残しており、『その木は這わず』はそのうちの一冊である。

  その昔特別病室の跡所盲導塔は歌う「ここはどこの細道じゃ」

 重監房は使われなくなった後放置され、自然倒壊したという。盲導塔は盲導鈴ともいい、視覚障害者に場所を知らせる機械である。「通りゃんせ」の歌詞と相まって、独特の雰囲気を感じさせる歌である。

  唐丸籠に入れられ炎天に置かれあり逃走患者二度目の送致

 唐丸籠は江戸時代、罪人の護送に用いた、上を網で覆った竹駕籠のこと。逃走の果て捕らえられた患者が、身動きできない籠に閉じ込められたまま炎天に放置されるという、過酷な状況が描かれている。

  面会の子が帰るたび呆け果てつく溜息は只事ならず

  「息子が親に自殺を頼む事件があった(二十五年前の事)」と詞書きのある連作。淡々とした詠みぶりのうちに、体面のために我が子に自死を強いられた患者仲間を思う深い怒りと悲しみ、諦念がにじむ。
  背広着る息子がよもやと思ううち森に連れ行く病むその父を
  せかされて仰いだらしい劇薬は顎を伝いて皮膚も焼きあり
  日暮れ頃足早に立ち去る若き男村人は見しがそれだけのこと

 全国に悪名を轟かせた重監房があった一方で、栗生楽泉園は、患者同士、患者と健常者が結婚し、敷地内に個宅を設けて住むことも可能だったようだ。

  家建てて健康妻と暮らすもよし湯之沢患者をここに誘いき

 「湯之沢患者」はもと湯ノ沢集落の患者であろうか。湯ノ沢集落自体が、明治十九年にハンセン病患者を村外れに移転させできたもので、栗生楽泉園開園に伴い解散した、いわば患者隔離のはしりである。

 視覚障害のあった著者。触覚や嗅覚を感じさせる歌は、繊細でもあり、今ある身体を使い切る生の営みの表現でもあろう。

  色褪せぬ竜胆の花もあるべきを杖にからむ草唯に打ち行く
  杖振れば草穂は種をこぼすなり秋を聴けとやまろぶその音
  職員の植えくれしパンジー一葉一葉唇に数え花を待つなり
  入り組める療舎の屋根を吹き抜ける風のかけらは庭に渦なす
  地を摑み切々と鳴く蟋蟀は生命に沁みて響き来るもの

【書籍情報】
沢田五郎『その木は這わず』皓星社、一九八九

-新日本歌人協会叢書-その木は這わず 沢田五郎歌集

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