「空海と密教美術展」五首 [美術]
秋蝉の高き葉ずれに立ち添ふる上野の杜をそぞろ歩きぬ
「大威徳明王騎牛像」を詠む
六足に踏み伏せらるる水牛の張りたる尻はおみなのごとく
「大威徳明王」は頭が6つ、手足が各6本の異形の姿の明王で、別名「六足尊」。
明王を乗せている水牛は死の神ヤマを表しており、本来男神なのでしょうが。
「兜跋毘沙門天立像」を詠む
地に沈むおみな哀れと思ひしか神支ふるを天女と呼ぶは
「兜跋毘沙門天」は単独でつくられた多聞天(毘沙門天)のうち地天女の掌の上に立つ形式のものです。
「立体曼荼羅」を詠む
異ざまに流るる潮の逢ふところおどろおどろの神寄り集ふ
密教は仏教のみでなく、ヒンドゥー、イスラムなどさまざまな要素が加わっています。
いろいろな文化が交差するチベットだからこそ生まれた宗教なのかもしれません。
「如意輪観音菩薩坐像」を詠む
微睡むかもの思ふかのみほとけにくぐりきし火のかげ添ひをりぬ
如意輪観音は衆生の苦しみを除き、生きていく上での望みを叶えてくれるとされています。
この像が全体に褐色で黒ずんだ部分があるのは、火に遭ったからだと言われています。
「大威徳明王騎牛像」を詠む
六足に踏み伏せらるる水牛の張りたる尻はおみなのごとく
「大威徳明王」は頭が6つ、手足が各6本の異形の姿の明王で、別名「六足尊」。
明王を乗せている水牛は死の神ヤマを表しており、本来男神なのでしょうが。
「兜跋毘沙門天立像」を詠む
地に沈むおみな哀れと思ひしか神支ふるを天女と呼ぶは
「兜跋毘沙門天」は単独でつくられた多聞天(毘沙門天)のうち地天女の掌の上に立つ形式のものです。
「立体曼荼羅」を詠む
異ざまに流るる潮の逢ふところおどろおどろの神寄り集ふ
密教は仏教のみでなく、ヒンドゥー、イスラムなどさまざまな要素が加わっています。
いろいろな文化が交差するチベットだからこそ生まれた宗教なのかもしれません。
「如意輪観音菩薩坐像」を詠む
微睡むかもの思ふかのみほとけにくぐりきし火のかげ添ひをりぬ
如意輪観音は衆生の苦しみを除き、生きていく上での望みを叶えてくれるとされています。
この像が全体に褐色で黒ずんだ部分があるのは、火に遭ったからだと言われています。
2011-09-20 17:50
nice!(0)
コメント(0)
トラックバック(0)
コメント 0