NHK短歌2月号 [NHK短歌]
再掲になりますが、今日発売されたNHK短歌2月号で、
12月に放送された歌の評をいただきました。
読みさしの本を閉じれば暗がりに花首ひとつほとりと落ちぬ
<評>
恐い本を読んでいたのか。中断して本を閉じた時に偶然花首が落ちた。暗がり、花首、そしてぽとりではなく「ほとり」と濁らなかったところが巧み。
自分の中では決して派手な歌ではありません。
加えて、腰の句は最後までどうするか迷いました。
半分は実体験です。
夜中に読書していたとき、背後の徳利に一輪活けておいた山茶花が
ほろっと散りました。
常々「事実より真実」と仰る結社の代表の言葉を思い出し
ちょっと言い換えましたが、番組中で「花びら」でなく「花首」
(椿によく使う語ですが)と言ったことを評価していただいたこと、
文語的な表現にもかかわらず採っていただいたこと、
ありがとうございました。
12月に放送された歌の評をいただきました。
読みさしの本を閉じれば暗がりに花首ひとつほとりと落ちぬ
<評>
恐い本を読んでいたのか。中断して本を閉じた時に偶然花首が落ちた。暗がり、花首、そしてぽとりではなく「ほとり」と濁らなかったところが巧み。
自分の中では決して派手な歌ではありません。
加えて、腰の句は最後までどうするか迷いました。
半分は実体験です。
夜中に読書していたとき、背後の徳利に一輪活けておいた山茶花が
ほろっと散りました。
常々「事実より真実」と仰る結社の代表の言葉を思い出し
ちょっと言い換えましたが、番組中で「花びら」でなく「花首」
(椿によく使う語ですが)と言ったことを評価していただいたこと、
文語的な表現にもかかわらず採っていただいたこと、
ありがとうございました。
題詠「硝子」 [NHK短歌]
硝子砂もて描かれし魚(いを)の尾のそよぎて涼し花瓶のはだえ
半年ばかり忙しさにかまけて締め切りを飛ばしてばかりいたNHK短歌。
7月からぼちぼち再開し、久しぶりの佳作です。
実家に灰色の焼きものの花瓶がありました。
柄は片面に砂を撒いたような感触の魚が一尾。
底が細く安定が悪かったためかめったに使われることはありませんでしたが
シンプルな色柄が子供ごころに大人びて素敵に思えたものです。
NHK短歌10月号(8月放送分)
佐伯裕子さんに佳作で選んでいただきました。
ありがとうございました。
半年ばかり忙しさにかまけて締め切りを飛ばしてばかりいたNHK短歌。
7月からぼちぼち再開し、久しぶりの佳作です。
実家に灰色の焼きものの花瓶がありました。
柄は片面に砂を撒いたような感触の魚が一尾。
底が細く安定が悪かったためかめったに使われることはありませんでしたが
シンプルな色柄が子供ごころに大人びて素敵に思えたものです。
NHK短歌10月号(8月放送分)
佐伯裕子さんに佳作で選んでいただきました。
ありがとうございました。
題詠「人名」(テーマ詠) [NHK短歌]
指弾する目を見返せよブラウスの赤より勁(つよ)きヴァリーのひとみ
エゴン・シーレの「赤いブラウスのヴァリー」という絵を詠んだものです。
エゴン・シーレとヴァリー・ノイツェルは
かねてから詠んでみたい歌題ではありました。
ヴァリーはシーレの助手兼愛人。
当時全盛を誇ったグスタフ・クリムトの紹介でした。
シーレの絵と共に激しい批判にさらされたヴァリー。
でもこの絵の頃がつかの間の幸せだったのではないでしょうか。
シーレとユーディッドの結婚に伴い、ヴァリーはシーレのもとを離れ、
最後は野戦病院の看護婦として孤独のうちに病死します。
……扇情的なポーズとともに目を射る赤いブラウス、
それにも増して鑑賞者を挑戦的に見つめるヴァリーの目が
印象的な絵です。
NHK短歌9月号(7月放送分)
加藤治郎氏に佳作で選んでいただきました。
ありがとうございました。
エゴン・シーレの「赤いブラウスのヴァリー」という絵を詠んだものです。
エゴン・シーレとヴァリー・ノイツェルは
かねてから詠んでみたい歌題ではありました。
ヴァリーはシーレの助手兼愛人。
当時全盛を誇ったグスタフ・クリムトの紹介でした。
シーレの絵と共に激しい批判にさらされたヴァリー。
でもこの絵の頃がつかの間の幸せだったのではないでしょうか。
シーレとユーディッドの結婚に伴い、ヴァリーはシーレのもとを離れ、
最後は野戦病院の看護婦として孤独のうちに病死します。
……扇情的なポーズとともに目を射る赤いブラウス、
それにも増して鑑賞者を挑戦的に見つめるヴァリーの目が
印象的な絵です。
NHK短歌9月号(7月放送分)
加藤治郎氏に佳作で選んでいただきました。
ありがとうございました。
題詠「乗り物の歌」 [NHK短歌]
利己的な連鎖は終わる遺伝子を乗り継げる子をもたぬと決めて
「乗り物」といってバスや電車ではあまりに平凡な発想しかできず、
思い切って転換しました。
生かじりですが、「利己的遺伝子」という考え方があります。
イギリスの動物行動学者であるリチャード・ドーキンスの提唱した説で、
「人間を含むすべての生物個体は、遺伝子が自らのコピーを残すために
作り出した「乗り物(vehicle)」に過ぎない」というものです。
ふだん全く詠まない歌題なので
あまり個人的なことを詠むのもどうかなとは思いましたが、
実家が祖父の頃からDVのある家庭だったことも踏まえつつ、
けっこう悩んだあげくにできた歌です。
NHK短歌4月号、加藤治郎さん選「乗り物の歌」で佳作に選んでいただきました。
ありがとうございました。
「乗り物」といってバスや電車ではあまりに平凡な発想しかできず、
思い切って転換しました。
生かじりですが、「利己的遺伝子」という考え方があります。
イギリスの動物行動学者であるリチャード・ドーキンスの提唱した説で、
「人間を含むすべての生物個体は、遺伝子が自らのコピーを残すために
作り出した「乗り物(vehicle)」に過ぎない」というものです。
ふだん全く詠まない歌題なので
あまり個人的なことを詠むのもどうかなとは思いましたが、
実家が祖父の頃からDVのある家庭だったことも踏まえつつ、
けっこう悩んだあげくにできた歌です。
NHK短歌4月号、加藤治郎さん選「乗り物の歌」で佳作に選んでいただきました。
ありがとうございました。
題詠「白」 [NHK短歌]
「ブランシュ」の名に憧れし若き日よ白は女の片影に過ぎず
受洗するときに名前を決める必要がありました。
その時に本当はつけたい名前があったのですが、
教父がふたりとも司祭さんだったために言えずじまいでした。
その名前は「ブランシュ(blanche)」または英語読みで「ブランチ」。
「白」ということばです。
この名前を持ち、憧れていた文学の主人公が3人いました。
一人目は「欲望という名の電車」(テネシー・ウィリアムズ)の
ブランチ・デュボア。
「娼婦紛いの女の名前をなにごとか」と思われるむきもあるでしょうが、
ブランチの最後のせりふ、
「どなたかは存じませんが、私はいつも
見ず知らずの方のご親切を頼りに生きてまいりましたの」
に彼女の無垢のすべてが凝縮されているように思うのです。
二人目は「谷間の百合」(バルザック)のアンリエット。
ブランシュという名前が最初に出てくるのは、
アンリエットが自分の名を告げるところ。
「主人は私をブランシュと呼んでいます」
アンリエットは聖女のように描かれていますが、死の直前、
とても人間的な、愛欲を求めるひとりの女の一面を垣間見せます。
三人目はあまり有名ではありませんが、
「カルメル会修道女の対話」(ジョルジュ・ベルナノス )という
戯曲の主人公。
1789年、革命下のパリ。ド・ラ・フォルス侯爵家の令嬢ブランシュは、
内気で怯えやすい少女。
度重なる暴動の不安から、修道院に入ることを決意する。
折りしも、革命政府の政策による宗教弾圧が激しさを増し、
カルメル会修道院の閉鎖が告げられてしまう。
修道院を守ろうと殉教の誓いを立てた修道女たち。
だが、待ち受けていたのは収監と死刑判決であった。
1794年7月17日。修道女たちは聖母マリアを称えつつ、断頭台へとのぼっていく・・・。
当時の思いを辿ってみると、受洗するとはいえ、
人間的な一面を兼ね備えた名前を選びたかった自分がみえてきます。
でも結局その名前を選ぶことはなく……。
また、その後いろいろな経験をすることで、
人は白いままでは生きられないこと、時には自ら望んで
自分を汚さなければならないことを学んだともいえます。
NHK短歌2010年1月号、東直子さん選「白の歌」で佳作に選んでいただきました。
ありがとうございました。
今まで苦手な歌題だと飛ばしたり、何ヶ月も投稿しなかったりでしたが
来年からはきちんと取り組もうと思います。
受洗するときに名前を決める必要がありました。
その時に本当はつけたい名前があったのですが、
教父がふたりとも司祭さんだったために言えずじまいでした。
その名前は「ブランシュ(blanche)」または英語読みで「ブランチ」。
「白」ということばです。
この名前を持ち、憧れていた文学の主人公が3人いました。
一人目は「欲望という名の電車」(テネシー・ウィリアムズ)の
ブランチ・デュボア。
「娼婦紛いの女の名前をなにごとか」と思われるむきもあるでしょうが、
ブランチの最後のせりふ、
「どなたかは存じませんが、私はいつも
見ず知らずの方のご親切を頼りに生きてまいりましたの」
に彼女の無垢のすべてが凝縮されているように思うのです。
二人目は「谷間の百合」(バルザック)のアンリエット。
ブランシュという名前が最初に出てくるのは、
アンリエットが自分の名を告げるところ。
「主人は私をブランシュと呼んでいます」
アンリエットは聖女のように描かれていますが、死の直前、
とても人間的な、愛欲を求めるひとりの女の一面を垣間見せます。
三人目はあまり有名ではありませんが、
「カルメル会修道女の対話」(ジョルジュ・ベルナノス )という
戯曲の主人公。
1789年、革命下のパリ。ド・ラ・フォルス侯爵家の令嬢ブランシュは、
内気で怯えやすい少女。
度重なる暴動の不安から、修道院に入ることを決意する。
折りしも、革命政府の政策による宗教弾圧が激しさを増し、
カルメル会修道院の閉鎖が告げられてしまう。
修道院を守ろうと殉教の誓いを立てた修道女たち。
だが、待ち受けていたのは収監と死刑判決であった。
1794年7月17日。修道女たちは聖母マリアを称えつつ、断頭台へとのぼっていく・・・。
当時の思いを辿ってみると、受洗するとはいえ、
人間的な一面を兼ね備えた名前を選びたかった自分がみえてきます。
でも結局その名前を選ぶことはなく……。
また、その後いろいろな経験をすることで、
人は白いままでは生きられないこと、時には自ら望んで
自分を汚さなければならないことを学んだともいえます。
NHK短歌2010年1月号、東直子さん選「白の歌」で佳作に選んでいただきました。
ありがとうございました。
今まで苦手な歌題だと飛ばしたり、何ヶ月も投稿しなかったりでしたが
来年からはきちんと取り組もうと思います。